古典を学習していると気づくことがある。完了の助動詞の「つ」「ぬ」「たり」と過去の助動詞「き」「けり」が連続するとき、必ず完了、過去の順に繫がり逆の例はほぼない。「てき」「にき」「てけり」「にけり」はあるが「けらぬ」は見たことがない。助動詞には繋がる順番が決まっているようだ。
では当然の助動詞「べし」と打消の「ず」の場合はどうか。多くの場合は「べからず」となる。当然、打消の順だ。逆はどうか。「ざるべし」の形はなくはない。どちらかといえば不可能や不適当を表現する場合に使うような気がする。当然の打消の場合は「べからず」のほうが優位ではないだろうか。
なぜこのようなことにこだわるかといえば、最近「へきではない」ということろを「ないべきだ」という表現をよく目にする耳にするからだ。「ないべきだ」は間違いではないのになぜか気になる。不適当の意味の「ない方がいい」の意味で使うならばいいが、不許可、禁止の意味で使うとどこかに違和感を覚える。
日本語の仕組みとして打消は最後にあって、その前のほとんどをひっくり返す。文の途中にあると部分否定のような趣になり、打消の意味が弱まることに原因があるのかもしれない。
こういうことを使用者が納得して使っているのかいなかはコミュニケーションの成否にとっては重大事項だろう。それを考えさせるのは国語教師の大切な役目だと考える。