博覧強記は今でも憧れる境地だ。いろいろなことに通じ、それを適時に取り出せる。そして、もう一つその教養に裏打ちされた高度な判断や言動が行えるというイメージがある。理想的人物像だ。
途中までなら機械がこなすようになった。チャットGPTならばデータベースにあることは瞬時に取り出せる。マイクロソフトの提供するBingならば今日あったことでも、過去のデジタル化したものでも極めて短時間に引き出し、回答を自然な言語で取り出してくれるのだ。博覧強記に似ている。
ただし現段階では情報を拾い出し回答を組み立てることはできても、その意味を理解してはいないようだ。だから曖昧な問いかけをすると、誰でもわかるような間違えをする。知識に見合った教養はない。
人工知能は極めて優秀な物知りではあるが、基本的なことも分かっていない、というより分かろうとしない存在であることを今の時点でしっかりと把握すべきだ。今後、人工知能の能力は上がり、今ほどは違和感は消えていくだろう。だが、基本は同じはずだ。
なにも知らない物知りを人間という物知りではないが何かを知っている存在が操ることが大事だということになる。