先に人工知能による画像生成システムの話を書いた。画像を作成するための指定が短いフレーズでできていることは驚きだった。そして、この考え方は実は人間の認知の方法そのものであると気づいたのだ。
複雑で多彩な絵を完成させるためには多くの指定が必要だ。つまり多くの語意があることで満足できる絵が描けるようになるということだった。ただし、文学にはそれに逆行する考えもある。短歌や俳句などでは使う言葉を限定することで成り立つ短詩形文学だ。先の絵画作成アプリに例えるならば、指定できる言葉の数が限定されている。その中で何らかの絵を描く必要があるということだ。
思い通りの詳細は描けない。ならば、最低限必要な輪郭なり、色彩なりを提示することで世界を描くしかない。限られた上限で何ができるのかを追求するのが短詩形の特徴であり、それゆえに生まれる効果が短歌らしさ俳句らしさを生み出している。描くのに多くの筆を使わず、色彩も限定する。この美学は顧みるべきだろう。
少ない言葉で表現される短詩形文学ではあるが、その世界をつかみ取るまでは過去の経験や豊富な語彙が必要になる。多彩な材料の中から枠組みに合うものだけを厳選するというのがその本質なのだろう。
