翻訳されやすく

 長く続けているといいこともある。このブログは私の日々の雑感を書き連ねているので、そんなに役に立つ情報はない。あくまで一人よがりの考えが並んでいる。それなのに時折、海外からのアクセスがあり、リアクションをいただけることもある。うれしいことだ。

 その方のサイトを訪問すると当然ながらその国の言葉で書かれている。英語ならなんとか読めるが、ロシア語やイタリア語、スペイン語になるとお手上げである。そこで機械翻訳を使うことになる。

 ラップトップのパソコンでブログを読むと、翻訳の提案が飛び出すので、それに従うと大体の意味は分かる。明らかにおかしい日本語は推測で解釈する。細かいニュアンスは読み取れない。これを割り切ればスペインの教育関係者のブログも読める。

 自分の日本語が機械翻訳でどのように訳されているのか心配になってきた。私の文章は多分に生硬、不明瞭なところがある。故意に曖昧な言い方をすることもある。これを訳せるのだろうか。

 そこで考えた。ときにはやさしい日本語を使い、極力機械翻訳でも誤訳されない文章を書くべきではないかと。今日の文章などはそれに当てはまるまい。本当は英語、イタリア語などで書ければいいにこしたことはないが、せめて分かりやすく書くことにしようかと思う。そういう文を書くときは断りを入れることにしよう。

 その前に誤入力、誤変換をなくさなくてはなるまい。老眼にはきつい作業であるが。

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