短歌は短詩形のため盛り込まれる情報量が少ない。さらに歌自体が暗唱しやすく、記憶に残りやすいため、様々な享受の仕方が生まれる可能性がある。それがこの文学の特徴であり、可能性でもある。
いわゆる歌物語というジャンルは一首の歌の成立事情を短いストーリーにしたものである。中には古歌を扱うものがある。実際の歌が作られた状況とは必ずしも一致しているとは限らない。歌を作った人は(もしくは集団は)必ずいたはずだが、その記憶が途絶えて歌だけが残り、後世の人が新たに歌の生まれたエピソードを考えて作るということがある。これが歌物語の本質なのかもしれない。
現代でもそのようなことはある。ある作品が読者によってどのように読まれるのかは様々であり、それが事実であるかどうか怪しくなっていることもある。また新たな解釈がオリジナルの成立事情を覆い隠すことさえある。和歌だけではなく、流行歌もそのように解釈される。
ならば、逆に歌は自由に解釈できる文学と考えて新たな可能性を考えることもできる。文学的世界は決して作者だけが作るものではない。読者もまた、その世界形成の一員であるということになる。この視点はこれまで多くの研究者によって唱えられているが、高度情報社会においては作品世界の共有と改変のスピードが飛躍的に早まった。新たな文学のありかたを考えるべきなのだろう。