失われた感触

 時代が変わるとなくなるものがある。現代社会は進歩が速いためにそれを人生の中で感じることができる。私でさえそれをいくつも感じることがある。

 視覚的なものは大きく変わり続けている。街の風景は刻々と変わり、少し前のことを思い出せない。もっと前のことを考えてみる。いまは住宅地として有名な場所もかつては雑木林の連続であった。薄暗さのなかに踏み込みにくい雰囲気があった。うっかり足を入れると不可思議な動物に襲われるかもしれないなどと、子どものころは真剣に考えたものである。

 耳で聞く感覚にもなくなったものは多い。駅の改札で聞こえていた改札の際の鋏の音はある世代以下の人は知らない。原宿駅の改札にも駅員たちが並んで鋏を入れていたことは記憶の隅にある。客がいなくても空うちをしていたので、常に鋏の音が響いていた。その後、紙の切符を機会に入れる方式となり、今は非接触型のカードやスマホ、スマートウォッチをかざすだけなので音は出ない。確認の電子音がわずかに響くだけだ。非接触を信じられない人がカードを読み取り機に当てる音が耳を驚かすことはあるが。

 嗅覚も変わった。かつては下水道の普及が足りないところがあり、どんな町にもどぶ川があって悪臭を放っていた。今はめったにない。これはいいことだが、使ったものは適切に処理しなくてはならないと思う気持ちが人任せになっている。ものを大切にしない気持ちがどぶ川よりも社会悪を発生させる可能性がある。

 触感もなくなったものがたくさんある。ダイヤル電話を回すときの指先の緊張感を私は覚えている。回すときは思い切ってやらなくてはならない。躊躇してしまうとうまくストロークが計れないらしく間違い電話になってしまっていた。

 味覚は常に変わり続けているから、逆に変化には気づけない。昔のお菓子はもっと甘かったし、何か体に悪そうな合成的な味がした。そういうものは今は少ない。おそらく、子どもの自分に今のお菓子を食べさせたらおいしさに感動するに違いない。その代わりに砂糖の代用甘味料などが入っているので、人体に将来どのような影響が出るのか分からないともいう。昔と今とどちらがいいのか分からない。

 失われてしまった感覚はいくらでもある。時々それを思い出すことで、いまの生活を客観できるかもしれない。

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