
人に何かを教えるときにかつては学ぶ材料を提示することが大切といわれていた。提示の順番や方法などに工夫をすることが教える者の技能と考えられていた。この考え方は最近変わりつつある。知識の内容を伝えるよりも、学び方を教えるべきだという流れである。これにはいくつかの問題点がある。
学び方を教えるという場合、次に何を読むか、どの問題を解くかという指示をすることは大切だ。何をやっていいのか分からないから知らないのであり、それを教えるのが学び方を教えるということだからだ。しかし、これにも程度がある。学びのスケジュールを完全に教師が行い、生徒がそれに従うのであれば結局従来の知識移動型の教育と同じになってしまう。まずは何をやるのかの大体の方向性を示しながらも、実際にそれを選択するのは学習者でなくてはならない。もっと巧妙な言い方をすれば学習者が選択したかのように見せかけなくてはならない。
学びの達成感は自分の努力が報われ、結果になって表れたときに起きやすい。他人が用意した道筋をどれだけ進んだのかということになると、結局他人との比較になり、優越感を感じる一方でたいていの場合は劣等感にさいなまれる。それは他人が作った物差しの上にいるからだろう。
本当は用意された道であっても、学習者自身が開拓したかの印象を持てれば結果は全く異なるだろう。学習者は自分のやったことに対して自信を持ち、次の挑戦に進むことができるはずだ。
要するに教員は陰から誘導する役に徹する必要があるということになる。中等教育まではある程度、たどり着く目的地は分かっているものが多い。学習者がどのような経路をたどりどのように進むのかを予測して誘導することが教員の役目ということになるのだろう。こういう技術はこれまでの知識教育の方法とは異なるものである。これからの教員はそういった技能を学習していく必要がある。
