
残念ながら見えない差別が広がりつつあるのを感じる。これが杞憂であればいいと思うが結構根深いものを感じるのだ。
多数派が正義という図式は民主主義の悪い側面である。本当に正しいかを検証せずに、多くの人がなんとなく支持する考えを正義と考えてしまう。これは根本的な間違いにつながる。しかし、日常の生活においていちいち検証という工程などするはずはない。なんとなく時流と判断する各自の判断(というより印象)で是非を決めてしまう。
最近、困るのはこの自分とは異なる考えに対する寛容性のなさである。多くの人はそう考えているが、別の考え方もあるというときに、これが排除につながることがある。排他性が発揮されるのはいくつかの条件がそろった時だが、これがいま起こりやすい条件がそろっている。
ソーシャルメディアのような似非世論を見せるものが手元にあると、ネットの発言を基準にして物事を考えてしまう。よく考えればわかる。ネットに書き込むのは特定の条件の人だけであり、それ以外の人はROM(読むだけ)の状態だ。だから、書き込まれていることは世論ではなく、極端な意見の集合体に過ぎない。それを世論と勘違いする人が一定数存在することでおかしな事態になる。
日本人は元来同調圧力の強い環境に置かれているが、それを増強するのが自由な発言の場であるはずのソーシャルメディアである。これを克服するためには各自のメディアリテラシーを向上するほかには方法はなさそうだ。TwitterやFacebookに書かれていたとしてもそれは少数意見であり、従う必要はない。そういう根本的なことをもう一度考えるべきだ。

いいねが多いとついそれがいいことと思ってしまう私。