人間としての評価

魅力的な人間とは

 よく言われることだがいわゆる知能指数だけでは人間は計れない。学校の試験のような出題者が予め想定する解答がある問題ならば知能がものをいうが、答えのない問題に関してはそれだけでは対応できない。

 最近、学校に行く意味がないという人がいる。一斉教育をしている日本の学校は無意味だという。学力が高い生徒にとっては退屈な授業であり、低い生徒にも逆の意味で無意味だという。

 確かに従来の講義形式の授業であればわざわざ学校で自分にあっていない授業を受けるより、自分にあった問題集を解く方がよほど有益だ。しかし、この考え方は測定可能な学力だけしか考えていない。

 学びには、自己を制御したり、周囲と調和したりする行動も含まれる。自他を学びに向かわせ、利益を共有する力がいるのだ。これを身につけるのは集団の中に身を置く必要がある。

 学校は知識だけではなく、感情や協同の涵養の場にしなくてはならない。知識の伝達ではなく、伝達される知識に意味があり、それを活用するためには一人ではできないことをしなくてはならない、ということに気づかせること。それが学校の存在意義だろう。

 そのためにはまずテストの点数だけで生徒や学生を評価してはならない。もう少し広範の人間性を視野に入れるべきだ。

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