そこにあるものを最大限に生かす

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私たちにはより良いものを使いたいという願望がある。便利な機能がついているものはそれを使いたい。それは自然なことだ。しかし、その便利という考えを熟慮する必要がある。それは本当に必要なのか。便利なように見えて実は不便なのではないか。

例えば新しい家電を購入するときに、様々な高機能付きの製品を選びたくなる。1万円高くてもその方がいい。店員もそれを勧めるし、情報誌にもそのように書いてある。数年使えば1万円の投資は回収できると考える。しかし、もしその機能を全く使わずにその製品を使い続けるのだとしたら無駄になる。

 こういう論法は今までにもいろいろな人から聞いた。なるほどそういうこともある。ただ、大切な問題は少し違うところにあるのではないか。高機能が保証されていればそれだけ安心感はあるし、可能性という満足感を購入したとすれば使わなくても投資価値があったともいえる。無駄とは言えない。

 問題はその高機能性に甘んじて、自分で工夫することを怠ってしまうことにあるのではないかと考える。機能がなければその分、自分で工夫をしなくてはならない。生産性が下がるかもしれないが、その中で何ができるかを考える。結果として別のやり方が生まれ、下がると考えれていた生産性はかえって向上する可能性もある。こういう努力をしなくなることの方が技術依存の問題点だと考える。

 今ある条件のなかで何ができるのかを考えることが大切であり、それが結局は既成の状況を超越するためのきっかけになる。与えられた幸福よりも自らそれを模索し獲得することの方が意味があるはずだ。

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