
中元は仏教行事とされているが、さらにさかのぼると中国の土着信仰に期限を持つらしい。道教として整理されているものだ。旧暦7月15 日に行われるのがアジアの多数地域での例だ。ただし日本では旧暦を重んじないため、新暦の7 月15 日もしくはひと月遅らせた(月遅れという)8月15日をその日とする。東京では7月15日の方をとり、先祖祭りをする習慣がある。最近はかなり廃れているが。
中元という意識はなくなっても「お中元」はサマーギフトとも考えられ、贈り物をする習慣は根強い。本来は先祖への供物であったが、江戸時代には商売関係や師匠へのお礼の品を贈る習慣があったようだ。現在はこれも虚礼として廃す傾向にある。教員を始めたころ、生徒の父兄から中元が来て戸惑ったことがある。いまは住所や電話番号自体を明かさないのでこの方面の恐縮は不要になった。
無駄な虚礼はやめた方がいい。また、一歩間違えば贈収賄にもなりかねない。間違ったことはしたくない。ただ、この中元という習慣はそれなりに社会的な役割を果たしているのではないだろうか。親戚縁者に贈り物をすることにより、紐帯を確認しあうのは無駄なことではない。形式化するのは問題だが、遠く離れている相手に自分が心を向けているという事実を形で示すのは意味がある。
この歳になると人からものをもらうのは何か気が引けるが、贈る方はやってみたい気になる。なぜだろう。決して優越感ではない。誰かのためになること、誰かが喜ぶことをしたいと思うようになることが歳を重ねるということなのかもしれない。ただ多くの場合、それができず逆に迷惑をかけてしまうものなのだけれど。
