
考え方には癖があるのではないか。その癖を利用すれば効率のいい教育ができるかもしれない。
新しい学びを始めるとき、私の場合はノートを広げても何も書き始められない。何を書けばいいのかわからないのだ。思考の手順というか、道筋というのが見えていないうちはいろいろな情報がただ並列に広がっていく。思考のテーブルに置ききれなくなってこぼれ出すと学習の意欲が消えて行ってしまう。
何かを考えるとき、最低限の道順を決めてあると学びが続きやすい。それを助ける役がコーチなのだろう。まずこれをやり、次にこれをやるといった助言だ。自走できるようになったら本人が学びの幅を広げられる。その先はコーチの能力を超えていく。学校の教員ができるのはこの役である。
ならばコーチは、つまり教員は生徒の学びの癖を知り、学びやすいように助言をすることが職務上の重要事ということになる。そこまで私はできていない。相変わらず、教科書を右から左へと読んで聞かせているに過ぎない。
教員の仕事は教材を提供して考える空間を作り、最初の二三歩の歩き方を教える。そこに尽きる。考え方の癖は一人一人違うはずだ。それを知ること、そして面談を繰り返すことが学びの発動にはかかせない。しかし、それはできているのだろうか。
