教室に映写する教材は

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 勤務校ではここ数年、教室のデジタル化が進んでいる。すでに黒板はなく、ホワイトボードはプロジェクターから映写されるスクリーンにもなる。数年前とは雲泥の差だ。ただ、これまでやってきていくつかの注意点があることに気づいた。

 これまで黒板に書いてきたさまざまな情報、これを教員用語では板書というが、これをスライドであらかじめ作成することができる。よいことはあらかじめ仕込むことになるので、授業計画がより綿密に行えることだ。授業の展開を見越してスライドを作るからである。図解や写真なども簡単に行える。例えば夏目漱石の作品にはこのようなものがあって…などと説明するときはこれまでは副教材を開かせたり、プリントを作成して配布したりしていた。それがスライドでできるのだから、時間的にも資源の節約という観点からもいい。

 しかし、悪いこともある。私は縦書きの表示をする手前、パワーポイントなどのソフトを使ってスライドを作る。やったことがある方はわかると思うが、手書きよりはるかに多くの情報が入る。それは素晴らしいのだが、中等教育の現場においては詳細情報は選ぶ必要がある。なんでも載せていると生徒はそのどれが大切なのか分からず、ひたすら写そうとする。写さなくていいというと今度は注意力が散漫になる。電子教材ならでは問題点が発生してしまう。

 手書きのもっている微妙なニュアンスも電子化すると伝わりにくくなる。便利さと、教育効果は必ずしも相関しない。最近の研究によれば電子書籍よりも紙の本の方が、キーボードで入力するよりは手書きの方が学習効果が上がるという。長年人類が培ってきた学びの習慣はそう簡単に変えられるものではない。長谷川嘉哉「脳機能の低下を防ぐには「手書き」が有効だ」(東洋経済オンライン2019/11/19)

 教育現場においては単純にデジタル化をまんべんなく押し広げるのではなく、従来の紙の教科書、手書きノートの要素をうまく活用していくことが求められている。生徒にとってのインプットの局面では、核となる情報は紙面のテキストを使い、書き込みなどをさせて読みを教えるべきだろう。そのほかの補助的情報はデジタルで見せ、メモをとらせるのは最低限にすればいい。

 アウトプットにおいては手書きノートを充実させるべきだろう。板書の「写経」は最低限にして、自分の感想や疑問点を書かせる。また、授業後のまとめや感想を書くことを習慣化させるのがいい。あくまで手書きにこだわらせる。国語科である私にとってはここは譲れないところだ。一方で記号で答えられる小テストなどはGoogle Classroomにあるフォーム機能などを使って答えさせると即時に解答の傾向が分かり、指導の助けになる。添削を要する作文も時にはデジタル入力させると添削や返却が簡単になる。

 要するに、アナログとデジタルの使い分けが必要だということだ。世間的にはデジタル化の遅れが日本社会の停滞の主因だという論調が多いが、中等教育の現場においてはそれをそのまま適応してはいけない。

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