世代による共通の体験というべきものを探すことが難しくなっている。こんなことを見た聞いたやったという共通の経験は少ない。その意味ではここ数年、マスク生活になったことは稀有なことかも知れない。

もちろんこれはある意味喜ばしいことでもある。生活が多様化し、様々な価値観が並列する時代にあるといえるからだ。選択肢が多数あるからこそ、共通の経験を持つ者の数が減るわけだ。
読書経験についても同様のことが言える。同じ本を読む経験が減るのは、読書以外の楽しみがあるからだということだ。
ただ、ある程度は共通の教養がなければ様々な困難が発生する。同じ思考の根本にある読書経験がバラバラだと共感したり協調したりすることが難しくなってしまう。あの話のように、という比喩は使えなくなる。それは結構困ることだ。
学校の国語の授業で全員に同じ話を読ませるのはその意味では共通体験の担保をしているのだとも言える。それがどんなに退屈な経験であっても、それに触れたと言う経験は一定の意味を持つ。
よく、無理やり同じ話を皆に読ませても無意味だとか、関心のわかない読書をさせるべきではないという人がいる。一理あるが別の見方をすれば、それなりの役割を果たしていることに気づくはずである。
