感染者差別

オミクロン株の流行が想定以上であるので医療機関はすでに対応が難しくなっている。いわゆる陽性判定にしても、検査をしなくても医師の判断で出せるようになったようだ。みなし陽性というそうだ。これにはいろいろな問題があるようだが現状を乗り切る手段として敢行されている。問題なのは陽性と判定された人々への周囲の心理的な問題にある。

パンデミック初期の頃、感染は対策をせず無節操な生活をしている者が罹ると報じられてきた。飲酒や深夜の会合などの関係者に感染者が出たからだ。しかし、よく考えてみるとそれは条件の一つに過ぎず、その頃でも原因は分からないが感染した人もいた。極端で分かりやすい例が抽出されて報じられたのだろう。

コロナ禍は人の心も蝕む

ただ、こうした見解はすぐに普及しやすい。不注意が感染を招く。感染した人は用心が足りない人だ。あるいはさらに進んで社会常識にかけたり、反社会的であったりするのだと。そういう人が含まれていたとしても、それが必要十分条件ではない。そうでない人も感染したのだ。

オミクロン株の感染に関してもそのときの誤解がまだ解けない。感染した人を悪し様にいったり、言わなくてもそのように考え、有形無形の差別をする人が少なからずいる。私たちの科学的認知の限界を見せつけられている。

逆もある。本当かどうかこれこそ怪しいが、報道によればコロナウイルス流行は何者かの陰謀であり、マスクをする必要などないと主張する団体があるのだという。デモ行進までしてマスクを取ることを訴えたとか。フェークニュースでないとすればこれも逆の意味で冷静な判断ができなくなっている例であり、差別の変化型である。

現実を整理し、冷静に判断する必要がありそうだ。また、影響力のある方々には繰り返し科学的な知見を説明してほしい。これは分かりやすいほうがいい。またその知見も解明が進むごとに更新されるものであることを訴えてほしい。おかしな差別を防ぐためにはまずはそれだろう。そして一人ひとりのリテラシーをあげるということを続けなくてはならない。

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