AIがより実用的なものになった時点で私たちの能力はどうなっているのだろうか。様々な無駄を省き、効率的に物事を進められるようにプログラムされるはずの人工知能に我々はただ従うだけになるのだろうか。
便利なのものができると得られることと失われることがある。例えば私たちは火を使う際に苦労することはない。ガスコンロをひねればすぐに加熱は出来る。電気式なら炎さえいらない。その代わりガスや電気がなければ火をおこすことは難しい。かつては誰もができたことが誰にもできなくなっている。
AIが完成しなくてもすでに私は初めて訪れる場所にナビゲーションなしで行くことは困難だ。私だけではなく多くの人たちに共通するはずだ。地図を読む力も落ちている。
何も考えず、面倒な作業をしないで済むことは幸せなのだろうか。恐らく数知れない利益を齎す一方で、痛切な重大事を見失う可能性がある。先のカーナビの譬えでいえば、ナビに従うあまり、閑静な住宅街に迷い込む経験は何度かあった。確かに近道なのだが、果たして進路としてふさわしかったのだろうかと考えると疑問が残る。近道を選べばいいのではないという選択は今のカーナビにはできないようなのだ。
どんな時代になっても自分の行動に自分で責任を取ることができる能力を持つこと。取れなくてもせめて自らの判断が幾ばくかの影響があったと考えられるほどにしておくことは大事であり、これからの教育関係従事者の目標となるはずだ。
