受験生だった年のこの頃はどんなふうに過ごしていただろうか。考えるといまより脳の反射神経なるものははるかに優れていた。分かることも分からないこともはるかに早く見極めがつき、分かることに集中する思い切りもあった。いまの生徒諸君に比べれば、いろいろ情報不足で周囲の人が垂れ流す様々な噂を半ば信じてそればかりに集中することもできた。参考書を何度も解いたり、少し大きめの声で世界史を講談のような調子で覚えたりした。
2月も下旬なると大抵の大学は試験が終わり、結果も出てくる。私は下旬になっても合否の発表がなく、どうせ浪人だろうと思っていたが、何とか合格を取れた。もっとも行きたかった地方の国立大学も合格できたのだが、親の意見で結局都内の私立に進んだ。学費に下宿費を加えればそれほど差はなくなるし、実家からの通学はあとから考えればかなりお得であったことは間違いない。ただ、そのときはかなり複雑な思いであった。
3月に卒業式がいきなりあり、同級生男子のほとんどが浪人していたので、遊びにも誘いにくく、孤独になってしまった。英会話、新興宗教の誘いに乗りそうになり、危うく避けて孤独な日々を送った。それが今ごろの季節であったことを少しずつ思い出している。
受験勉強は集中的にいわゆる学力を伸ばしたのかもしれないが、生きる力とか真実を見抜く能力については成長を期待できない。私にとっては18歳の3月を無事に乗り越えられたことが奇跡のようにも思えてしまう。もし、その年代の方が読者におられたら、もしくはお知り合いにおられたら、是非考えていただきたい。受験勉強は大学に入るための手段の一つであり、それで合格できたからと言って何かが終わった訳ではない。寧ろそののあとの方がやるべきことが多い。高校とはまったく違う大学生活に適応するまでは焦らず、即断せず、本当にやりたいことは何かをよく考えることだ、と。