一問一答式の問題への対応ではなく、予め答えが用意されていない課題に対応する能力が求められています。中等教育では従来の基礎教育が引き続き必要であるのとともに、知識を応用し自主的に考える方法を教えることも求められることになります。
大学共通テストの記述問題は、採点を公平に行うという問題を乗り越えることができず頓挫してしまいました。解答の方向性を決めるためにさまざまな制約をつけて出題すれば、形を変えた選択問題と等しくなり、記述型でみたい思考力は十分に測定できません。いろいろ補助線を引けば解決すると考えられた採点作業も結局、公平性を保つほどの精度が期待できないということになってしまいました。大学受験者が一斉に受ける試験にこういうタイプの問題はもともとあっていなかったというのが私の意見です。やるならば各大学の個別試験でやればいい。求める文章力や論理の立て方が学部ごとに違ってもいいし、各大学ごとに個別の基準があってもいい。それが記述型試験の本来のあるべき姿であると考えるのです。
さて、それは大学の入り口の件ですが、その影響を受ける中等教育では自分の考えをまとめ表現することに対してどのような教育を行うべきなのでしょうか。まずは問題意識を喚起させることから始めなくてはなりません。今の生徒、すくなくとも私の関わっている生徒は、教員から与えられた課題に対して答える努力をする才能はかなり高度なものがあります。その反面、自分なりの疑問点をもつことや、それを表現することはかなり苦手であり、結果として常に受動的な学習をしていることになります。
生徒に自由な課題を選択させて論文のようなものを書かせようとすると、ネットで検索すればすぐに解決してしまうような問題をあげる者が大半です。また、どうしても解決しようもない大問題をあげる生徒もまれにはいますが、むしろそれは歓迎すべきです。答えが出そうもないことは考えないという判断停止の習慣は大人も含めて日常化しています。それを変えていかなくてはならない。
学校は知識の伝達の場という印象があまりにも強いために、知の創生ということがおろそかになりすぎた。中高生は発展途上でインプットが中心だという考えも強すぎた。いまやらなくてはならないのは知識を伝達しながらも、いかに出力をする方法を教えていくか。そして大学教育にそれをどのようにつなげていくのかを考えていなくてはなりません。
まずは自分が興味を持ったことを記録させることをやっていこうと考えています。いきなり自分が取り組むテーマを見つけようといっても無理があります。自分がどのようなことに関心をもち、何に疑問をもっているのかを形にしていくことが大事ではないか。少しずつ形にしていくことが大事なのではないかと考えています。