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脳の見せる世界なのか

 

 脳科学者は言う。この世のすべてのできごとは脳の機能によってとらえられたことなのだと。確かに脳機能に障害を受けた親の姿を見ると、人生は脳機能が見せる幻影なのかと思う。脳機能が損なわれると本人の行動が変わり、人格も変わってしまう。同じものを見ても脳の状態によって感知できる内容は変わり、それに伴う反応、つまり表情、言葉、雰囲気も変化してしまうのだ。

 ならば、世界は脳の働きでいかようにも見えるのか。よい脳には良い世界が、悪しき脳には貧しい世界が感知される。世界を楽しめるか否かは脳の働き次第なのかということである。もしこの考え方を認めるならば、人生は脳機能によって決まるということになる。良い脳を持ったものが幸せを掴み、悪しき脳の持ち主は浮かばれない。浮上するチャンスを失い続け、結果として精彩を欠いてゆく。

 それは何か違うのではないか。脳の機能は確かに大きい。人類は脳の発達にかなり影響されているとはいえ、それ以上にその場の雰囲気、状況にかなり影響されていると考えるのだ、脳のフイルターを通らなくても感じている何かがあるのではないかと考えてしまう。すべてを身体の機能に還元しようとする現代の知見には敬意を払いながらも敢えて別の見方をしてしまうのである。

問題発見力

 何気ない日常の中に潜んでいる疑問を粘り強く追究することこそ今求められている。

 いろいろな知識人の著述や発言に、問題が何であるのかを見つける能力こそが求められているというのがあった。問題点が発見できれば解決への道が開ける。その問題点は見つけにくく気づかれにくい。だから見逃してしまうのだ。

 小さな疑問を見逃さないためにも普段からアンテナを張っていることが肝要だ。加えて分からないときに諦めたり、短期的に解答を求めないことも大事だという。

 注意深く見て、見つけたら考え続けることだ。これは、これからの生き方の基本に据えたい。

脳の仕組みを活かす

 よく目にするのが脳科学による学習の方法の見直しという論調である。この方面には全くの門外漢なので言われたことをそうかも知れないと信じるしかない。その意味で科学と言いながら私のレベルではオカルトと変わらない。

 最近気に入っているのが独り言による自己暗示である。ネガティブな発言が続くと心が不調になり、結果としていいパフォーマンスができない。これを防ぐためにわざとポジティブな発言をするルーティンを作れというのだ。何かで読んだが、「だけど」の白魔法はいいらしい。弱音を吐いてしまったとき、すぐに「だけど」をつけて内容を逆転する。例えば「とても疲れた」と言ってしまったら、すぐに「だけど、いい経験ができた」などと内容を好転させる言葉をつけるといいのだという。実際にはいいことがなくてもこれを言うことで脳が騙されて良い行動ができるようになるというのだ。

 苦しいときこそ笑顔でいたほうがいいとはよく聞く話だが、これを一歩すすめて言葉で自分を騙すというやり方だ。いいとことを聞いたと思う反面、私たちは何とも危うい地盤の上に立っているのだと再認識している。何事も気持ち次第というが、論理とともに感情が思考や行動をいかに影響を与えるものであるかを痛感する。

 ブログ記事もときにこの手法を取っていることがある。本当はそれほど大したことでもないのに大仰に書きたてるのは自分を励まそうとしているもがきであると寛大な目でご覧いただきたい。