近隣の公園にでかけてみた。梅園はまだ五分咲きくらいだった。品種によってかなり差がある。
梅はもともと外国から植樹された樹木らしく、万葉集の時代にはかなり大陸が意識されていたようだ。令和の元号の由来ともいわれる大宰府の梅花の宴も、舶来の花を囲むところに意味があったのだろう。平安時代には庭木として定着し、時代が下るごとに梅にエキゾチズムを感じることはなくなった。むしろ和の象徴に感じる。
梅の木を人々がどのように考えて来たのかをさぐることはこの国の歴史を知る一端だ。
日々の思いを言葉にして
タグ: 歴史
近隣の公園にでかけてみた。梅園はまだ五分咲きくらいだった。品種によってかなり差がある。
梅はもともと外国から植樹された樹木らしく、万葉集の時代にはかなり大陸が意識されていたようだ。令和の元号の由来ともいわれる大宰府の梅花の宴も、舶来の花を囲むところに意味があったのだろう。平安時代には庭木として定着し、時代が下るごとに梅にエキゾチズムを感じることはなくなった。むしろ和の象徴に感じる。
梅の木を人々がどのように考えて来たのかをさぐることはこの国の歴史を知る一端だ。
横浜市にある古代の住居遺構を見てきた。高台にある遺構群は縄文から弥生、さらには古墳時代に至るまでの遺跡が発見されており、一等地であったことが伺える。
考古学的な知識にかけている私には単純な驚きしかない。ただ、数千年前からこの地に人の営みがあり、様々な場面が繰り広げられていたことを思うと名状しがたい感慨になる。
いま自分の生活の何が残せるのだろう。そう考えると虚しくも悲しくもなる。おそらく私個人という立場で考えてはならないのだろう。日本列島に生活したものとして現代人が何を残せるのかを考えなければなるまい。
戦国時代末期と言われる桃山時代が文化的には豊潤な期間であったことを再認識した。政治史と文化史は連動しながらも別物だ。
東京国立博物館で開催中の桃山時代の美術展を鑑賞して、いろいろ気づいたことがあった。金箔をふんだんに使った絢爛豪華な屏風絵と極めて簡素な水墨画が同じ時代に発展していたことはもっとも象徴的な現象だ。螺鈿細工の緻密さと大胆な造形の茶器の対比も面白い。およそ実用的とは言い難い武将の甲冑の装飾もこの時代の特徴である。
おそらく戦乱に明け暮れていた時代は住みにくかったに違いない。正気でいるのも大変なことだと思うが、その一方で独自の文化が展開していた。その裏にあったのは狂気なのか。何が造形に駆り立てたのかは大いに気になっている。
史跡を訪ねる人はいつの時代も後を絶たない。それは歴史の授業で学んだからだろうか。それは一つのきっかけに過ぎない。おそらく人をひきつける要因にはもっと深いものがある。
私たちは過去の人々が確かに生活していた場所に赴くことで、現在地を確認しようとしているのではないか。不断の時間の流れの中で、物事は常に変転し、その無常の現実さえ見失っている。大抵は意識しないでいられても、ある時突然思い浮かぶ不安定な気持ちを抑えてくれるのが歴史なのではないか。
過去は輝いているとは限らない。否定したい負の記憶も含まれている。ただ、それも含めて振り返ることが、現在を安寧な気持ちで生きるための条件なのではないかと考えるのだ。
日本の古い習慣に「夏越の祓え」があります。これで、なごしのはらえ、と読みます。19世紀以前の日本では月の満ち欠けを基準とした太陰暦が使われていたため現在とは実際に指す日時が大きく異なるのですが、6月末日は意味のある一日でした。
夏越の祓えは旧暦では夏の最後の日とされていました。またそれまでに犯してしまった罪や穢れを消し去る儀礼が行われたといいます。それは身体についたほこりでも落とすかのような気楽な罪悪感です。もちろん、どれほど真実として受け入れていたのかはわかりません。呪いの一つのようなものだったのでしょう。
一年の折り返しに身を清めてリセットをしようという考え方の方に注目します。半年という意識がどれほどあったのかも興味深い。また、清めた身体が様々な能力なり活力なりを復活できると考えていたのかも知りたいことろです。
旧暦の6月末日は今年の場合は新暦8月中旬であり、古人の祝った日とはほど遠いのですが、半期に一度の心の大掃除の日ということにして今日を送りたいと考えています。
非常事態が続くと人の本性のようなものが見えてくるのかもしれません。性悪説でも性善説でもないありのままの人間の姿が。
マスクを高額転売したり、一部の人を差別したりする人がいる一方で、社会に貢献するために利己的献身的に働く人もいます。悪を糾弾する人、その後方にいて無責任に声をあげて結局憂さ晴らしをしているだけの人、人の気持ちを理解できない人など様々です。
結局そのどれもが人間であってどんなに文明化が進んでいっても精神の発達は難しい。過去の歴史が繰り返していたことをいまだに続けている。これが人間の性であり、長所であり欠点でもあるのだと改めて痛感しています。