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彼岸花

 秋の彼岸であるがその名をもった鮮やかな花をつけている。隣家の狭い庭にもこの花が並んでいる。おそらく家主の趣味なのであろう。

 かつて俳句を習った先生がこの花は土の中の赤を吹き上げたものだと句にしていたのを思い出す。鮮やかで生命力を感じさせるのはこの花の力だろう。曼珠沙華ともいうらしい。ほかにも地獄花とか死人花とかいう不吉な別名もあるようだ。聖なるものは俗にも振れやすい。鮮やかな赤は生命力にも悪魔の色にも見えたはずなのだ。

 植物自体には何の功罪もないが、歴代のこれにどのような思いを重ねてきたのかを考えることには意味がある。

ムクゲ

ムクゲ

 夏から秋にかけての花木としてムクゲは存在感を示す。実は一つ一つの花は1日しか持たないというが、群生しているからかその印象はない。

 中国が原産地というが、大韓民国では国花として扱われ、日本でもかなり古くから鑑賞用に輸入されていたようだ。中世までは短い花の命を扱い兼ねていたようだが近世になると華道の花材として利用されるようになる。庭木としても好んで植えられるようになると、季節の花として定着した。

 猛暑が明けて漸く花を見る余裕ができたということなのだろう。気がつけばすすきの穂もたなびき始めている。

さるすべり

百日紅

最近、よくサルスベリの花を見る。猿も滑ってしまうほどの幹の様子がその名の由来だという。夏から秋にかけて赤や紫の花が咲く。小さな小花が群生し、次々に開花することから百日紅とも呼ばれる。

サルスベリのことを意識するようになったのはここ数年のことだ。それまでは名前は知っていたし、図鑑の映像は見たことがあった。気づいてみるとあちこちに植えられていた。

赤や紫のあざやかないろあいは異国を感じさせる。

ホタルブクロとコバンソウ

ホタルブクロ

 ホタルブクロを目にする機会が増えた。山野に自生する草花で以前から見かけたが、最近は庭先や街路樹の下に花が咲いているのを見つける。かつては発見すると少なからぬ感動があったが園芸種の仲間入りをしてしまったかのようだ。

 ホタルを釣鐘状の花の中に入れて子どもたちが遊んだのが名の由来だという。ホタルの棲息する場所にも咲くから無理な話ではない。ホタルブクロの方は繁栄しているが肝心の光源の方はかなり減ってしまった。

コバンソウ

 もっと地味な植物のコバンソウは近代に欧州から導入された帰化植物らしい。生命力が強く完全に雑草化している。ところが草刈りでも刈り残されることが多く中には花壇に移植する人もいる。その名の通り花穂が小判、もしくは米俵のような形をしており、縁起のよさを感じるのだ。

 コバンソウも最近よく見られる。人の住まい近くに棲息するためには人間の勝手な価値観に沿う必要がある。食用にならないものは見た目の良さで運命が変わることがあるのかもしれない。

五月も下旬

カワラナデシコ

 五月も下旬になって早くも曇りがちの天気が続いている。梅雨の気配なのか。

 そんな中でもさまざまな花が咲き始めている。今日見つけたのはカワラナデシコだ。なでしこの在来種と言われている。万葉集に秋の七種とされ、大伴家持らによく詠まれたなでしこはどのような品種だたのだろうか。なでしこの命名からして子・娘に例えられてきた優美な花である。大和撫子は日本女性の形容としてもよく使われる。秋の草花とされるが実はもう咲き始めている。

 五月の穏やかな天気の中で心は緩むばかりだ。でも今日はその柔らかな感覚の中で時を送りたい気がする。

外来種

アカツメクサ

 近くの公園を歩いてみた。意外に多くの野の花が咲いていた。雑草に分類されるものも含めてよく見ると見どころがある。この中の多くが近代以降に渡来した外来種であることが分かった。

 そもそも公園という空間自体が人工的なものである。そこに自然を見出すのはおかしい。しかし、誰か外来が意図的に植えたものでなくとも外来種で溢れている。アカツメクサはすでにどこにでも見られる。ヒメジオンは歳時記に載っているし、最近増えたベニバナユウゲショウは園芸店で売っても売れるかもしれない。

ベニバナユウゲショウ(アカバナユウゲショウ)

 何をもって外来種というか。その定義は意外に難しい。生態系を荒らす新入りについては厳しい目が向けられるが、それとて人間がもたらしたものである。

 どこからか天の声がする。そなたもかつてここにはいなかった。新入りが新入りを難じていかんとす。

ドクダミ

ドクダミは追憶の花?

 ドクダミはいわゆる雑草の部類に入るもので多くの人が目にしているはずだ。どこにでも生えている白い4つの花びら(実は花ではないらしい)は印象的だ。私はこの花にいくつもの思い出がある。

 こどもの頃はこの花は嫌いだった。野遊びのときこの草の放つ独特の臭いが嫌だった。名前に毒がつくのも気味が悪い。これを摘んて乾燥し、煎じて飲むと薬になるといって叔母が飲んていた。一口しか私は飲めなかった。

 学生となり、訳あって俳句を作るようになると、この花が十薬というのだと知った。昔から民間薬として利用されており、多くの人を救って来たことも知識に入った。毒ではなく、毒を矯めるという植物だったのだ。これを知ってドクダミへの関心は高まった。

 学生時代に友人と旅したことがある。何故かその中に北陸の古刹があった。広い境内のあちらこちらにドクダミが群生しており、その奥に踏み込むのを拒んでいるかのようだった。他にもより美しい価値ある植林もあったはずなのに、白い十字ばかりが記憶に残る。

 就職して地方に住むことになり、戸建の家を借りて住み始めたとき、ドクダミは草刈りの対象となった。地下茎で繁殖し切断しても生き残る生命力の強さは難敵としての地位を確立するに十分だった。この強さが毒に勝つ源なのだと敵ながら認めていたのである。

 もう何年も前だか職場の先輩が事故死する不幸があった。慕われていた方だったらしく、葬儀には実に多くの方が参列した。その長い列の脇に十薬の列もあった。これも何故か印象に残っている。

 隣家でドクダミの変わり咲きが栽培されているのを知って驚いたこともある。十字の萼の部分が薔薇の花弁のように八重になっていた。園芸種としてあるらしい。この家の主が花好きであったようで他にもたくさんの植物が植えられていた。通行人の目を楽しませてくれていたのだが、数年前に代替わりしたのか家主が変わったのか、あらかた植物は抜き取られてしまった。ドクダミの変わり咲きもそれから消えてしまった。

 実家の庭もいまは手入れをする人がなく荒れ放題だ。たまに見に行ってもさすがに手に負えない。多くの雑草の中に当然ドクダミも覇権を争っている。この夏には手入れをしなくてはと思いながら何もせずにいまに至っている。

 ドクダミには他にも様々な思い出がある。どうもこの草花には過去の記憶にはりついてくる特性があるようだ。花言葉を調べたところ白い追憶だという。やはりなにかあるのかもしれない。

椿の実

 通勤途中の道端に椿の実がなっているのを見つけた。小さな林檎のような色をしている。ただもっと球形の可愛らしいのものであった。

 中にある種子からは椿油が取れるらしい。子どものころ伊豆大島に行った。土産物屋で母が買ったのは椿油だったことからその存在を知るようになった。もっとも子どもたちにとっては椿の種を何かでコーティングして作ったキーホルダーの方が気になったものだった。

 椿など庭木としてはありきたりのもので、花はいつも注目してきた。それなのに実の存在を知り、まじまじと見入ったのは初めてだ。見逃していることのなんと多いことか。恐らく他にも目の前にありながら見えていないものはたくさんあるのだろう。

南国の花

 近隣の植物園に行ってきた。温室には数多くの南国の花が展示されており、しばし異空間に赴くことができた気がする。それにしても植物の多様性には驚かされる。生き抜くための戦略なのだろうがかくもバリエーションが多いと感心する。驚異でもある。

 食虫植物というものがあるが、これは虫を栄養源とする。植物が動物を食べてしまうのと言うのがまず驚くべきことのように思う。さらに食べはしないが植物を花の核に閉じ込めて受粉を促進するという種もあるらしい。一般的には虫媒花が知られるが、そこに至るまでのさまざまなグラデーションがあるようなのである。

 南国の花は他にもいろいろな特徴がある。その色彩、形状、生態などどれもが不思議なものだ。植物園はそれを簡単に見せてくれるのがよい。

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アカバナユウゲショウ

 道端に咲く4弁の可愛らしいピンクの花をほうぼうで見かける。園芸種のようだがなんの花だろうかと気になっていた。雑草にしては整っている。

 試しに道端、ピンクの花と検索してみるとすでに同じ関心を持った人がいたようでそれはアカバナユウゲショウというのだと答える。写真もあるのでほぼまちがいない。

 記事によれば北米からの帰化植物でマツヨイグサの仲間という。その名は午後になり咲くからだというが私の見る限り朝でも完全に開いている。日本で時差ボケしたのだろう。きれいな花なので雑草として繁殖しても積極的に駆除しようという気にはなれない。在来種の棲息地を奪っていることは確かだ。

 よく歩く道の街路樹はハナミズキで足元にはこのピンクの花が並んでいる。人間がもたらした風景なのである。