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インプット

 人に教える仕事をしているうちにふと気づくことがあります。教えてばかりでは枯れてしまうのではないかということです。

 教員の仕事は多岐にわたり、そのどれもが単なるルーティンで解決しないことが多いものです。となると、毎日の仕事に追われて自らが学ぶことが疎かになってしまいがちなのです。教える教科や生活指導の内容や方法論、人間関係などの助言を行う生活指導など学ぶべきことはたくさんありながら、それができずにいる。そうして手持ちの札がどんどんなくなっていくような感覚になるのです。

 多忙を言い訳にせず学ぶことを職務の中に組み入れていかなくてはなりません。私たちは常に学ばなくてはどんどん流されていく。この方面においては貪欲にならねばなりません。

起動

 自分のすることが誰かのためになると感じたとき、私たちはなにかしらの幸福感を覚えるようです。逆にいえば自分のために何かをするという考え方は内的な動機づけの要因としては物足りないということなのでしょう。

 ならば人をやる気にさせるためにはこの点を踏まえなくてはならないということになります。あなたの努力は将来のあなた自身のために必要なことなのだという助言はもっともな響きを持ちながら、実はあまり有効性は少ない。あなたのしていることが誰かのためになるのだという示唆がやる気へと繋がる可能性が高いということになります。

 人のためになるという言葉自体はよく聞くものであり、耳に心地よい響きをもっています。しかし、具体的にどのような役に立っているのかが示されなくては心象を結ぶことができません。恐らくよき助言者はそれを実践しているのでしょう。

 実際は他人のためになる行いだと実感できることはそれほど多くはない。年齢が上がるほど自他の行動を相互の利害関係という文脈で捉えてしまいがちです。金銭に換算してしまうこともある。だからこそときに利他的な考えに気づかせてくれるきっかけがいるのでしょう。

 この歳になってもさしたる業績もなく、恐らく何も残せない己を恥じ入りますが、せめて他人にやる気を起こさせる存在にはなりたいと考えています。

教え方を磨く

 教科書の内容を伝えるだけでは教育とは言えないということは前から言われてきたことですが、入試などで問われることが教科書に基づいた知識の記憶の域にあることが教育の内容を変えることを阻害してきました。未解決の問題に粘り強く取り組み、何らかの答えを出す能力を伸ばすことがこれからの教育の要諦になります。

 では、その目的に合わせるためには何をすればよいのか。教える側は答えを教えるのではなく、答え方を教えることに中心をおかなくてはなりません。いわゆるアクティブラーニングを効果的に発動させるための方法論を蓄積する必要があるのです。生徒に任せれば学力は伸びるという人もいます。ある意味それは間違いではありませんが、一方で結果的に何も学ばないという結果も起きます。生徒にどのような学びをさせ、どのような手順でその成果を発表させるのかを明確に説明し、実践する能力が求められます。

 教え方を磨くために私たちは研修に出かけたり、関係の書籍を読んだりして参考にします。ただこの種の教育は今まで以上に教師個人の資質による要素が大きく、自分にあったことではないと実践が難しいということがあります。日々の実践の中で磨いていくしかない。そこには失敗もありますが、失敗しなければ成功もないのです。