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葬儀は誰のため

 銃弾に斃れた安倍元首相が国葬されることになった。賛否は分かれる。否定的な意見がやや優勢だ。安倍氏がもし発言できるとしたら、自分の葬儀を国葬にしてほしいだろうか。私はよくわからないがおそらく断るのではないかと考えている。

 国葬は何のためにあるのか。国民が喪にふすためというならばこの行事はやらない方がいい。安倍氏の業績は大きいが、国民の大半には不利益しかもたらさらなかった。つまり、日本経済をその場限りの延命策で持ちこたえさせられたのは大きな功績だが、イノベーションもしばしば発言された女性の活躍も達成できなかった。

 国葬をやることに意味ないかといえば、私はなくはないと考える。これを口実にいろいろなことが始められるのはいいことだろう。統一教会などカルト宗教と政治の関係を見直す機会としてはいい。また安倍氏の死去にかこつけて日本に訪れる弔問使節を外交の相手として活用することは大切だ。

 議員を銃撃してはならない、政治は暴力によってはいけないというメッセージは出るのだろうか。狙撃手の家庭環境には大いに同情するものの、何があっても言論を暴力で消してはならない。それをすれば民主主義は終わるというメッセージはでるのだろうか。安倍氏の功績を評価する以前にこのメッセージを国民にしなければならないが、果たして行われるのか。はなはだ疑問だ。

 葬儀は死者を弔うための行事に見えて、実はまだ生きているものたちが自らの立場を確保したり有利に運びたいがゆえの闘争だ。つまり、棺桶の外側の問題なのである。日本がこの国葬を外交にいかに生かすのかが今後の課題なのであろう。

参院選

 参議院議員選挙が公示され選挙戦が始まった。相変わらず多数の政党が乱立して分かりにくい。中にはなぜこの場に参加する必要があるのか理解できない政党もある。しかし、この選挙を無視することはできない。

 多くの人が気にしているのは平和と経済の諸問題であろう。ウクライナ侵略があってから武力で現状を変えることの可能性が再認識されている。日本は敵対する陣営に属する大国と、制御が難しい独裁者の国に囲まれており、地政学的には危険である。それでは軍拡して対抗すべきかという議論にはなるまい。かつての戦争体験が生きている限りは反戦を貫くべきだ。人権を蔑ろにする悪行だ。

 ロシアの現状を伺うに戦争は何もいいことはない。経済を疲弊させ、恨みを長年に渡って残す。いろいろな意味でコスパが悪すぎる。

 まずは戦争に参加させないために政党選びをするべきだろう。非武装中立の夢はどうも無理筋のようだ。かと言って核武装も困る。バランスを適切に説明してくれる指導者がいる党を探したい。

 さしあたってそれよりも注目されているのは経済対策だ。国際的にも顕著な低成長ぶりは、給与が一向に上がらないことに現れている。これは現政権までの流れの失敗と言わざるを得ない。安定性を重視するあまりにその場しのぎの対策を継続してしまった。

 自民党への批判はよく耳にするが対案は示されているのだろうか。減税や消費税率の軽減といった話はあるが、その効果はどうなのだろう。下げたあとの世界はどうなるのか。そのあたりの中長期的な説明がない。だから野党の演説も素直に聞けない。

 政治家は理想を示し、それを実現するのが仕事のはずだ。その理想が伝わってこず、何をしてくれたのかも分かりにくい。失言とスキャンダルばかりが報じられる。これでは選挙に行かない人も増える。

 人まかせにできなくなっているのも事実だ。確実にダウンサイジングする我が国の舵取りに有権者は関心を持たなくてはならない。サービスはよくないがよく考えて選挙に行きたいと考えている。

失言というレベルでは

 麻生太郎氏の失言は日常的な出来事なので受け取る方もかなり麻痺しているが、今回の発言は選挙前ということもありかなりの影響をもたらすかもしれない。失言というより、事実誤認、さらには政治姿勢の根本に触れる問題発言だった。

 北海道のコメがうまくなったのは、農家の努力ではなく温暖化の影響という意味の発言をこともあろうに北海道の応援演説でおこなったという。応援された候補者には気の毒と言うしかない。温暖化とコメの生育の関係に科学的な証明ができていないこと、品種改良による努力を軽視するものであることなどそれだけで問題がある。それよりも国際的な動きとして持続可能性が喧伝され、その一つとして気候変動の減少と考えられている温暖化をあたかも天恵のごとく捉えること自体が政治家としての資質を問われるのだ。

 麻生氏は人間的な魅力のある人だと言われ、政治家でなければ好人物かもしれない。しかし、無知無配慮のリーダーのもとで生きる国民は不幸だ。これまでの失言歴だけでも普通の政治家であれば失職しているはずだが、経験と人脈が何とか支えてきた。ただし、自民党にとってそして国民にとってこの方はそろそろ政治以外の方面で活躍していただく方がいい。

国会議員ならば

 短期決戦といわれている衆院選はいかに印象に残るメッセージを出せるかが鍵となっているらしく、本日の街頭演説にもキーワードが述べられていた。名前を連呼するだけでは投票にはつながらない。そういう意味では健全な選挙に少しだけ近づいたかもしれない。

 自民党政権が批判を浴びる中で、対案を出し切れていない野党のあり方にも歯がゆさを感じる。私は特定の政党を支持する者ではないが、批判ばかりで実質のない候補者には投票しないつもりだ。今日は少々気になることを聞いた。その候補曰く、昨今の政策は地方とのバランスを考えるあまり都市生活者の利益が侵害されているというのだ。選挙区が人口密集部であることを意識し、地元の利益を優先する見解であった。

 これはこれで間違ってはいないが、国会議員のあり方として問題を感じる。選挙区の利益を確保する必要があるのは分かるが、都市対地方の構造を打ち上げて、まるで地方が都市生活者のパラサイトであるかのようにいうのはおかしいのではないだろうか。都市生活者の権利を守るという名目のもとで地方住民を軽視することの弊害を考えないのだろうか。少なくとも国会は国の代表であり、地方の代表ではないことを考えていただきたい。

女性候補

 衆議院議員選挙の立候補者のうち政党に所属する女性は全体の18.4%で、均等を求める理念からは程遠いことが分かった。

 与党の自民党は9.7%と全く目標に及ばず、公明党は意外にもそれより低い7.5%とこの国の女性の地位を向上させる思いがうかがえない。それでは野党はどうかといえば立憲民主党も18.3%にとどまっている。

 政党別で女性の比率が最も多いのは社民党で60%である。唯一女性候補の方が上回った。ただし、立候補者数15人の小党であり、解散前の議席数は1で議員となるにはハードルが高い。

 各党とも候補者不足をその原因として挙げているが、そもそも女性を政治家として育てるシステムが各党にあるのか。タレント議員を思い付きで擁立して集票するという方法で女性を使う以外に方法はないのか。政治家として必要な経験とキャリアを用意して議員に立候補させる仕組みを各党が考えていかなくてはならないのではないかと考える。

 女性議員が増えるだけで政治がよくなるとは私は思っていない。大切なのは性別ではなく資質だ。それでも、多様性は必要でありその大きな柱の一つは性別だ。無理に均等にする必要はないが、現状ではなりなくてもなれないという性的ハンディが大きすぎる気がする。

所得倍増?

 岸田首相が自民党総裁選挙で掲げた所得倍増の言葉の解釈をめぐって疑問が出ている。経済再生担当相の山際氏が苦し紛れの釈明をしているが誰もが倍増などありえないと考えている。むしろ虚しい言葉を使う政治家を軽蔑する材料となっている。

 所得倍増は戦後の復興期の特殊事情でこそ実現したがいまはどう考えても無理だ。見かけ上のインフレで倍増しても通貨の価値が下がるようでは無意味だ。

 ただ、所得を増やすことはこの国にとって死活問題であることは相違ない。まずは持てる人たちが金を使う方策を考えるべきだろう。持たざる人たちまで利益が及ぶためには使ってもらわなくてはどうしようもならない。一律徴税するという愚策はやめた方がいい。

 金を回すのが富裕層の義務であり誇りであるという考えを普及すべきだ。個人的には金持ちの贅沢にはやっかみもあるが、大事なのは経済を循環させることなのだろう。倍増は無理でも少しは潤うきっかけが生まれる。

明日より未来

 衆議院の解散総選挙が近づき、各党が公約を出している。集票のためか公的資金分配を掲げる党が多い。いただけるのはありがたいが中長期的展望を説明してほしい。

 日本の財政は世界的に危機的な状況にあるという。国際的な信用がそれを許しているが、今後もそうだとは限らない。借金をすればなんとかなるという基本概念は行き過ぎると努力をしないことに繋がる。分配するにあたり、財源は何か、返済はどのように実現されるのかを分かりやすく示してほしい。

 例えばかつてのように国民全員に10万円を配るとする。生活に逼迫していない層は貯蓄や投資に横滑りしたはずだ。これでは経済活動に寄与しない。足りない人にはすぐに消える金額だった。使える人は使う方がよいし、使う予定がない人には寄付や贈与ができる仕組みがあれば少しは役に立つ。

 私の無知を暴露しているのだが、おそらくこの程度ことしか多くの人は分かっていないと思う。金を配ることにどのような意味があるのか分かりやすく粘り強く説明してほしい。秩序を重んじる国民性からして、訳が分かれば金の使い方も変化が起きるかもしれない。

 明日の利益も大切なことだが、この先の未来に責任を持てそうな党に投票したいと考えている。

改革、再生、復興

 岸田首相が誕生し組閣人事が昨日のニュースだった。わずかながら世代交代があったことは喜ばしい。女性閣僚が3名に止まったのはやはり人材不足なのだろうか。

 最近の大臣には兼務項目を併記する傾向にある。今回も記憶できないほど多くの肩書きがある大臣が複数いる。本来職掌の中にありそうなものもあり、仕事をすることのアピールなのだろう。

 それにしても再生とか改革とか、そういう名のついている役職が多い。それがいまの日本の現実なのだろう。世間では実際には何もできないとか、短命であるとかいろいろ噂するものがある。国民としてはそのどちらもが国益に叶わないので、世評を裏切ってほしいと願いたい。

総裁選

自民党の総裁選挙が行われ岸田文雄氏が当選した。議院内閣制に馴染みがない国の皆さんにとっては不思議かもしれないが日本国民は自分の首長を自ら選ぶことはできない。だから、総理大臣に対しての意識がかなり屈折している。自分のあづかり知らないところで選ばれた人という意識が常に付きまとう。

自民党はよきもあしきも日本の社会構造の縮図のような組織だ。国会議員たちは空気を読んで行動する。つまり自分の主義主張より、周囲との調和の方を重視するため普段からあまり自己主張しない。したとしてもこのようなときにはあっさりと大勢に調和してしまう。だから党全体としては大失敗はしない。代わりに飛躍的発展は望めない。

日本のこのようなあり方はどうなのだろう。おそらく、短期的もしくは中期的な局面においては著しく危険だろう。新機軸を出せないままひたすら衰退していくしかない。一度衰退が始まると様々に波及してその深刻さは顕著になっていく。

逆に考えれば失敗はしないことは、最低限の水準で消滅は逃れる可能性はある。冒険をしないことで損害は逃れられるという楽観的な考えだ。これから発展していく国にはよく考えてみれば数々のリスクがある。それを乗り越えられるのかは誰にもわからない。堅実路線を行ったほうが最終的には生き残る可能性もある。

自民党を選ぶのは日本国民の冒険しない国民性の心的傾向を体現しているとも言える。実は自民党にはいくつもの派閥があり、野党の役割を党内で果たしている一派もある。日本には政権を担当できる野党がないので、その代わりを果たしているのである。

それでも私は今のままでは行けないと思う。岸田次期首相には嫌われ者になっていただきたい。日本を改革するためには首相が行動を起こさなければ始まらない。変革者はたいてい嫌われる。それでも停滞しているこの国をなんとかしなくてはならない。直接、選んでいない代表だがなるからには相応の働きを期待したい。

熱量

 首相の発言には熱量が足りないと指摘した同僚議員がいたとのこと。それを指摘したことを他に語るその人の熱量は間違っていないのだろうか。

 忠告や助言は勇気ある行動だと考える。それができないで停滞することは公共の福祉にも関わる。ただそれを他に誇る様では売名に過ぎないように感じる。詳細が分からないので検討違いをしている可能性もある。

 混乱時きは清濁が意図的にも無意識にも併流する。見極めねばならない。