和歌の世界で名所を歌枕という。これは全国各地にある歌に詠むべき地名ということで、平安時代にその概念が確立したようだ。これは単なる地名ではなく、様々な意味が込められている。
本来地名はある場所を表すストーリーのエッセンスとも言うべきものであり、短い伝説を伴っていたのではないかと考えられている。常陸国風土記の記事を見ればそういう推論があたっている可能性を感じる。地名はその土地の地形や歴史などに由来を持つが、地名となった後は、その地を守護する神のような存在になる。
地名が記号化した後でもこの印象は残ったようで、王朝歌人が和歌を詠むときにはなんらかの敬意がはらわれていたのかも知れない。それが次第に忘れられ、なぜその地名が歌枕なのか分からなくなったものもある。一方で、地名のイメージが洗練されて実態以上の世界を表すようになったものもある。吉野の桜、龍田の紅葉などは屏風絵の中で高度に芸術化された。
この古典を学ぶ際に教えられる知識は決して過去のものではあるまい。現代の流行歌のなかに地名が歌われるとき、それは単に地点の名前だけを指すのではない。東京なら東京の大阪なら大阪のイメージが含み込まれている。古代風に語るならば、それぞれの地名に伝説が含まれているということになる。
地名はいつの時代にも地点の座標にはなり得ない。緯度や経度ではない情報を含んでいるからなのだ。地名を大切にするということはこの点からも無視してはならない。