タグ: 善意

早朝の清掃ボランティア

 早朝に出かけた日のことである。駅前にある地下通路を静かに清掃する人が二人いた。路面にこびりついたガムか何かを剥がし取って、手持ちのペットボトルに入れた水で流していた。根気のいる作業である。彼らは清掃をボランティアで行っている人たちらしい。

 こういう行為を見ると自分も何かできないかと思う。昔見た「ペイフォワード」(Pay It Forward)という映画を思い出す。子どもが考えた善意のリレーで世界を変えるという発想を体現化したものだった。もちろん映画としてのストーリー展開でできすぎた内容であるのは仕方がない。善意は無意識のうちにリレーするの可能性がある。ただ、それがすぐに起きるのか時間がたってからなのかは分からない。ボランティアの姿はそのきっかけになる可能性があることは確かだ。

 私自身は何かをしなければという思いはあってもそれがなかなか実行できないでいる。せめて、ごく小さな親切から始めてみたい。それを行う勇気として清掃ボランティアの姿を覚えておこうと思う。

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監視するだけではなく

 久しぶりにTwitterにアクセスしてみた。もっともいまはXというそうでそっけないロゴになった。最近のニュースではいわゆるブロック機能をなくすという発表があったようだ。したことも(たぶん)されたこともないので私には縁がないが、誹謗中傷から身を守る手段の一つのようでそれをなくすことには疑問を感じる。

 そのXの通知をみると、不道徳とか暴力的だというコメントとともに、該当する行為をしている動画が添付されていた。なんの加工もされておらず、個人の特定ができそうだ。確かに悪質なものもあり、許しがたく感じられるものもある。ただそれを不特定多数の人に拡散していいのだろうか。あるいは投稿者の思い込みの可能性や、悪意のある加工の果てではないのかなどと考えてしまう。告発する側は匿名であるのも不公平だ。

 ソーシャルメディアが監視のために使われている。あのパノプティコンの例えを想起されるのだ。個々の正義は保たれるように見えて実は社会をどんどん息苦しくしている。公衆道徳を高める方法は告発だけではないはずだ。

善意も悪意も

 非常事態が続くと人の本性のようなものが見えてくるのかもしれません。性悪説でも性善説でもないありのままの人間の姿が。

 マスクを高額転売したり、一部の人を差別したりする人がいる一方で、社会に貢献するために利己的献身的に働く人もいます。悪を糾弾する人、その後方にいて無責任に声をあげて結局憂さ晴らしをしているだけの人、人の気持ちを理解できない人など様々です。

 結局そのどれもが人間であってどんなに文明化が進んでいっても精神の発達は難しい。過去の歴史が繰り返していたことをいまだに続けている。これが人間の性であり、長所であり欠点でもあるのだと改めて痛感しています。

善意の連鎖

 私の通勤で使う道には自主的にゴミ拾いをする方がいます。最近2人目の方に出会いました。

 道端に落ちているゴミをトングを使って拾い集めているご高齢の女性がいました。持参のビニール袋には結構な量のゴミが集められていました。さり気なく作業をするその方の様子にはちょっとした感動を覚えました。

数日前から別の男性がゴミ拾いをなさっている姿をお見かけするようになりました。もし善意の行動が広まったとしたのなら、すばらしいことです。ボランティア活動は現代の日本に必要です。これが善意の連鎖ならばこの世の中も捨てたもんじゃない。

 他人のことを誉めるだけではなく、自分には何ができるのかを考えることが大事です。いかにして社会に貢献できるのか。身近なところから考える必要がありそうです。

カナダチームのフェアプレイ

 台風のために試合が中止になってしまったラグビーワールドカップの釜石大会で、対戦する予定であったカナダのチームが、台風通過後の清掃活動にボランティア参加したことが報じられています。こうした善意は人々の感動を誘うとともに、自らもいつかはそのように行動すべきであるという規範にもなります。

 釜石での試合は復興へのシンボルという意味合いもあり、できれば最後の試合もやってほしかった。図らずも今回も天災による試合中止ということになってしまいました。その残念な気持ちを解消する素晴らしいエピソードがこのカナダチームの善行であったことになります。国際大会で国代表のチームが試合以外の活動に参加するということは他のスポーツではほとんど見られません。ラグビーという競技の与える精神性、哲学が具現化したものと考えられます。復興スタジアムの名のとおり、協力と善意が復興の姿であることを知らしめてくれました。

 カナダチームのような行動が私たちにできるのだろうか。それをこの逸話は私たちに問いかけます。日本人は礼儀正しいなどと自画自賛する前に行動として実行できることは何かを考えなくてはならないと感じました。