所属意識

 幼い頃に何度も転居したためなのか、私には土地に関する所属意識が薄い。所属意識という概念を持つ故郷と言える場所がなく、それを切望しているのに一向に現れないのである。

 そんな私にとって、最初の職場は地方都市ながら自らの所属意識を持てそうな場所であった。いろいろ足りないことはあったが、その不足分に自らの存在意義を感じることができたのである。できればそこにいつまでも暮らしていたかった。

 それが職場の事実で中断され、再び流浪の身になる。東京での生活はかなり長くなったが、いまだに客人として生きているという感覚のままだ。先輩たちのいう「骨を埋める覚悟」が持てていない。これは多分に情緒的なもので、気の所為と言われれば反論は時間がかかる。

 ある場所に対して執着しろとか献身的に振る舞えというのは間違っていると思う。愛国心とか、郷土愛といったものは内発的なもので他者から強要されるべきではない。ただ、その内発的意識が生まれないのはやはりそれなりの問題がある。私たちは愛国心なり、郷土愛といったものと、コスモポリタンとの調和を常に意識する必要がある。現在はそれが自己愛に傾き過ぎているので分断が進行している。でも、世界を等閑視するのはやはり問題がある。

 自分の生活圏を大切にしながら、その生活圏を成立させている周辺世界への目配せも忘れないのがこれからの世界を生き抜く術となる。私はこれからも「旅の人」たる生活を続けるだろう。臨終間近にあるいはこう思うかも知れない。いたるとろろに青山ありしと。今のところはそのような境地には至らないけれども。

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