久しぶりに原宿駅前に行ったときにかつての駅前の風景がすでになくなっていたことに驚いた。神宮橋の前にあった原宿駅は少しレトロな駅舎と、その前に駅員が並んで切符にハサミを入れる特別な場所であった。近隣に住んでいた私にとっては通学のルーティンの一部であり、特別な外出のときにはその第一関門と言えるのが原宿駅の改札だった。
私と同じかそれ以上の世代ならご存知だろうが、当時の改札は駅員が切符にハサミを入れていた。その入り口によって時間帯などが区別されていたとも聞く。改札通過時に駅員にいかにハサミを入れやすく差し出すのかは当時の乗客の基本的な姿勢というべきものであり、誰も口にしなかったが、公衆の常識というべきものであった。
今、改札でハサミの跡を見る例はほとんどない。そもそも切符なるのものを買わず、電子取引で終わってしまうから、紙面の切符が存在しないし、それにハサミを入れるという物理的な行為が存在しないのである。だから若い世代にこの一連の行動を説明しても実感が伴わないだろう。
紙を使わず、乗客の動向をデジタルで把握できる現在の方式さまざまな恩恵をもたらす画期的な技術に違いない。どれだけ労働時間を軽減し、労働条件を解消したのだろう。ただ、その手間減らしによって消えてしまった情緒の損失は計り知れない。駅の改札で響いていた改札の音は、ただの作業音以上のものであった。それがもう長い説明なしでは伝わらない。
昔に戻れとは思わない。昔の方がよかったとはまったく思えない。現在の方が昔よりはるかによい。ただ、劣悪な環境の中でも魅力の光を放ち続けてきた年配のオピニオンリーダーには心より賛辞を送る。
