東急の電車には監視カメラが付いている。出口前の照明の一つにカメラがあるのは周知の事実であり、緑色のランプが点いて稼働中であることを知らせている。車内で起こるさまざまなトラブルを抑止するためにも必要だと思う。
ただ、私たちの日常は以前よりはるかに監視されていることを自覚しなくてはならない。商店や個人宅に設置された録画機能付監視カメラに加えて、自動車に搭載されたカメラも日常を記録し続けている。かつてはどんなに録画しても、それを解析するのに時間がかかるので無意味と言われていたが、人工知能の機能を活用すれば驚くべき短時間で記録の検索が可能になっている。
時間は流れ、そして消えてゆくものであったはずなのに、それが記録され蓄積され、ときに目的に応じて再生される。何とも窮屈な時代になったものだ。私は今だけに生きたいが、過去をむしかえされる恐怖に常に怯えなくてはならないのだから。
さしたる悪事も善行も積んでいない身でかような心配は杞憂であると言われそうだが、いわゆるパノプティコン社会で暮らす身の生きづらさは、微かながらも確実に我が身に迫ってくるのである。
