そうはなりたくなかつた

 そうはなりたくないと思っていた姿になっていることを自覚したとき、底知れない無力感と救いへの渇望を覚えるのである。

 今の自分の姿は二十歳の頃に描いていたものとは全く違う。何というか平凡で、しかも少々陰気だ。上手くいかない毎日に疲れ切ったいまがある。

 でも明日を生きねばならぬ。もうやるしかないのだ。自分を納得させるためのさまざまな言い訳を何通りも考える。この方面の技術に関しては我ながら優れたものがある。現実認識と妥協に関するプロセスを日々磨いている気がする。その努力の結果、大抵の危機的側面を乗り越えてきたのである。

 でもこれは一時しのぎの方策でしかない。どうして生きるためには他者と争うのか。平和が必要と直感的に分かっていながら、悪事を繰り返すのはなんなのか。そういった疑問にいちいち立ち会わなくてはならない。

 なりたくない姿になっている現在も、それに甘んじていることに疑問を感じない自分も、全てを呑み込もうとするいまがある。それはここまでの敗北で獲得してきたいわば財産であり、生活の知恵の最たるものである。なりたくなかった自分をどう続けていくのか。私にとっての課題はまさにここにある。

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