思うにいまの世の中はあらゆることに因果関係を求めすぎて、人々の自然な行為を受け生けられなくしているような気がしてならない。偶然の振る舞い。そこにほの見える善意もしくは悪意は切り捨てられて見えなくなっている。
何かの事態を目撃して、行動するときの精神構造は必ずしも合理的ではない。その人がよいと考えることをただ実行するだけのことだ。そこに理屈はない。あったとしても後付けである。
私はわざとらしい善意に感心しない。意図せず動いてしまう人の振る舞いにこそ、心の美を感じるのだ。それは意図的なものとは限らない。あたかも知らぬふりをしているかのように見えるほど、自然で偶然のように感じられるものなのだ。
近年、こうした善意は対価のないものとして避けられている気がする。評価されない行為はその善悪に関わらず無意味なものと考えられやすい。でも、何でも商品化される世間の風潮に背を向けることも必要だ。そして、それにことごとしい賞賛は要らない。当たり前のように他者のためになる何かをする。そんな人生を送りたい。
それを理想主義者、夢想家と難ずる人もいるはずだ。その指摘は間違っていない現実離れした何かを追いたいのはいまの私にとっては切実な欲求なのだ。
