旅の途中

 ごく稀に自分は何でこんなことをしているのだろうと思うことがある。日々の生業にあくせくして、他人からの毀誉褒貶を受けながら、お前は何をしているんだと考えてしまう。子どもの頃から植えつけられた価値観のもとで、何か絶対的な基準があるかのように幻想して毎日を過ごしている。でも、一歩引いてみればそれは恐らく幻覚のようなものだ。多くの人が同時に見ている夢の中でそれに相応しい振る舞いをしているのに過ぎない。

 いま正しいと思ってやっていることは、基準が異なれば全く違う評価になる。現実と信じている日常は多くの人がそのようであれと考えている幻覚のようなものだ。何が正しいのか、邪悪なのは何かと言った弁別は言ってみれば時価のようなもので座標軸が変われば全く別の世界が出現する。

 私たちは生きる世界を選択することがほぼできない。個人の理想を追求するのはよいが、それが自分のパートナーにどのように響くのかは全く分からない。自分にとっては理想的な世界であっても、隣人には苦痛そのものかもしれない。誰を基準にするかで世界は大きく変わってしまう。

 だから、いまの身の回りの世界を絶対的なものとみるのはやめた方がいい。たまたまその世界にいて、多くの人がその世界の立ち回り方としてやってきたことを模倣しているのに過ぎないのだ。いろいろな世界がある可能性を忘れてはならない。そんなことが分からない自分はまだ旅の途中にいて彷徨っているのだ。

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