理系信仰そろそろ

 文系より理系の出身の人材の方が合理的で優れている。そういう論調はそろそろその欺瞞に気づいた方がいい。

理系の方が社会的ニーズに叶うという幻想は、いま心地よい噂として広まっている。ならば理工科目に全フリして良いかといえば、恐らくそれは大きな間違いだろう。今の日本の文理分けはあくまで受験のためであって、個々人の資質なりコンピテンシーによるものではない。文系の方が合格しやすいからということで文系学部に進んだ人も多くいるはずで、それは打算的な判断によるものだ。このことを非難するつもりは毛頭ない。逆に将来つぶしがきくとの大人の助言で理系に進んだ人も多いらしい。

理系的な論理的思考力は必要とされる場合が多いが、それはやるべき方法が決まっている場合である。頼るべき方法がない場合には価値の創造から始めなくてはならない。そのとき哲学や歴史、文学を参考にしなくてはならない。どちらも必要であり、択一という話にはならない。

理系的な知識だけで何とかなるという考えは既に過去のものになっていなければならないが、若者に過去の価値観を押し付けてしまう現実は厳然としてある。

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