発信源は特定可能

最近、誹謗中傷をネットに書き込んだことで起訴されるケースが増えている。匿名にしても発信者の特定はかなり正確に行えるようだ。そして立件されればかなりの経済的、社会的ダメージを受けることが分かってきた。落書きと違うのはそれが永遠に保存され、何度も責任追及される可能性があるということだ。

 デジタル社会は個人の行動を個別に保存し、必要なときに取り出せる能力を持つ。誰がいつ何を書き込んだのかについては記録されているというのが現状だ。

そうした窮屈さ息苦しさを我々の子孫は耐えていかなくてはならない。隣のあの人が何をしたのかをデータベースから検索するちょうどその時、私自身が何者なのかを検索の網が追いかけていることを考慮しなくてはならない。

個人的な思いを記すのは自由だが、それが他人にどのように受け止められるのかは分からない。どう解釈されても説明可能でなければならない。それが難しいならば公開は控えるべきなのだ。

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