考えていることを「過去形」で語らないことは私の世代にとってはかなりの重要事であると考える。私の考えていることはあくまで「現在進行形」であり、すでに規定された何かではないのだ。そんな当たり前のことが、私の世代ではすべてを過去形で話すような傾向がある。そういう圧力に押されているというのが正しいのだろうか。
これはこれまでの常識ではこうであった。といった言い方がしばしばみられる。物事の基準が目まぐるしく変化する「ように見える」現状においては、過去の出来事の価値が不明瞭になりやすい。それは古典文学を研究しているときに知る、古典尊重主義とは真逆であり、大変興味深いものだ。古き良き時代に理想をおいてそれに近づくことを美とするこの価値観を私はよしとはしない。むしろかなり問題を抱えた思考法と思う。ただ、それによって与えられてきた思考的安定感は評価すべきものだ。どうなるか分からない未来に神経をすり減らすより、過去の時代に規範を置く方が精神的には健康であるといえる。
過去の価値観を妄信してはいけない。時代的な要因が複雑にあり、過去の時代に理想を見出すのは実はかなり難しい。昔はよかったと思う気持ちは理解しやすいが、実は昔の方が様々な制約に取り囲まれ不自由で非人道的であったりする。過去の美化は人間の自然な心理動向かもしれないが、それが合理的かどうかは考え直す必要がある。
何が言いたいのかといえば私のような現役終端世代は過去を語るのではなく、現在進行形でものごと語り、経験則を強みとしながら、あくまでも現在に訴えかけるような文法で話しかけ、語り掛けるべきだということなのである。現役である以上はキャリアにかかわらず、現状に対処しなくてはならない。その際に経験の古さに遠慮は不要であるし、現在の状況に対峙することに躊躇してはならない。そういう気持ちを持ち続けたいと思う。