取引というけれど

 アメリカ大統領の言動のために取引ということばが最近の流行言葉になっている。取引というと聞こえがいいが昨今の状況を見ると、対等な立場にある相手との取引は少ない。有利な立場を築いた上で、相手に無理難題を吹っ掛けるのが取引なようだ。しかし、このような意味は本来の取引の意味とは異なっているような気がする。

 一見公平に見えて実は全くの不公平という話はいくらでもある。特に優位な立場の者が仕掛ける似非公平主義は巧妙で露見しにくい。さらに、この不平等に異議を唱えると、まるで我儘を通しているかのように攻撃してくるのだから厄介だ。ルールという不公平を巧妙に作り出し、自身の利益を保とうとする。これは残念ながら国際的な常識のようなものになっている。

 おかしいものはおかしいと言える態度は保ちたい。しかし、それも今は難しい。交通事故を起こしたら、自分が悪くても決してそれを認めてはいけないというのはよく聞く。それと同じだ。ただ、これは日本人の通念とは乖離している。

 高度成長期には勝つことを最優先課題とし、相手を傷つけることも厭わないのが美徳とされた。しかし、いま弱者の悲哀を知ってしまった以上、取引に限りない疑問点を持ってしまう。

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