日本の教育は知識や型を教えすぎて、本人の個性を伸ばせないという批判がある。確かにそういう面があるのは事実だ。このような方法では既成の秩序の中ではうまく立ち回れても、未知の世界では対応できない。今日のように予測不可能な未来に直面する状況では、もっともよくない仕儀であると。
ただ、ならば自由に学べというのもおかしなことだ。学べる力を持っているのなら、実は教育は要らない。多くの場合、人は何をどう学んでいいのか分からない。だから、先人の教えが必要なのだ。
日本的な基礎を固める方法も、個の応用に賭けるやり方もどちらも必要である。先人の教えを手っ取り早く実践できるのは型の模倣だ。もちろん外面だけの摂取ならば実効性は期待できない。型の模倣にはその精神の体感を゙伴うことが期待されている。
この方法は見直されてもいい。身の丈に合わないことでも敢えてやってみる。やった後で得られる何かが単なる模倣をそれ以上のものにするのかも知れない。コピーしきった時には本家を超えることもあるのだ。
学び方に王道のようなものはない。一時的な批判にぶれることなく、信じた学び方で貫くことが成功の扉を開く。今日のように情報過多な世情ではあれこれ考えているうちに学びの機会を逃してしまう。学びには一種の愚直さが必要だ。