今より不便だったころ

 今より不便だったことを思い出すことができるのか。それが現代を生きる鍵になるのかもしれない。

 いまは何でも効率的なことが求められる。少しでも無駄のないように徹底的に計算される。そうせざるを得ない現実があるから躊躇がない。

 でも、今に至る前の時代は必ずあり、その時代を生きていたはずなのに、すっかりと過去の思い出を忘れている。これは老化とか人生の問題とは違うようだ。加齢がもたらす記憶系の不思議な振る舞いである。

 いま私は時代の先端にいて、その流れに乗っていることになる。当然さまざまな矛盾を抱え、場合によっては崩壊し始めている要素もあるのだが、いちいち検証することはない。過去の経緯を思い出さないことに加えて、少し後のことも考えない癖がついている。それが恐らくいま求められている効率的に生きることなのだろう。何かが違うとしか言いようがないが。

 試みに10年前とか30年前のことを思い出してみる。インターネットが普及する以前のことを考えてみる。そのときに感じていた何かを忘れてはいないだろうか。いまを見つめ直すためにはこういう脳内作業も必要だと思う。

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