印象操作

 最近、気になっている言葉に印象操作がある。マスメディアからソーシャルメディアまで、事実の一面を強調することにより、全体のイメージを変えてしまうことだろう。これを結果的に行って来たのがこれまでのメディア史だったが、最近は明らかに意図的に行っている気がする。

 例えばある出来事について、その賛成派を中心に取材すれば好意的報道になるが、反対派を中心に報ずれば批判的になる。マスメディアは一応公平性を配慮するが、それでもどこを切り取るかで受け手の印象はかなり変わる。ソーシャルメディアは元々発信者の個人的な意見なので偏向報道そのものだ。

 メディアリテラシーが意識されているうちは何とか見過ごすこともできる。ただし昨今のように目まぐるしく、大量の情報が流動する状況では何が中立で何が偏向しているのかなど考える余裕がなくなってしまっている。

SNSに流れた情報があたかも事実、もしくは多数意見のように振る舞い、多くの人がそれを信じてしまう。よく考えれば、雑踏の中の誰かの呟きに過ぎないのに、おかしな力を持ってしまうのだ。少し前の、インターネットなどなかった時代の人たちの感覚を取り戻したい。トイレの落書きをどれだけの人が信じただろうか。

 意図的に事実を歪曲しようとする印象操作はAIの力も借りてますます巧妙化している。どんな報道がなされても、そこにある映像がいかにももっともらしくとも、立ち止まって考えなければならない。それができれば、操作されない自由が獲得できる。

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