子供の頃、図鑑を見るのが好きだった。特に昆虫や鳥類、気象、地学、天文の分野は好きで図鑑は文字通り穴が開くほど読んだ。深い意味は理解できなかったが。私が子どもだったころは高度経済成長期であり、科学技術がすべてを解決するという風潮があった。それとともに、さまざまな公害が発生し多くの悲劇を生んだ時代だ。
知識が世の中をよくすると単純に信じられたのが私の子ども時代だ。それが多くの矛盾に直面して考え方を変えざるを得ない局面があった。ただそれがいまは通じない。人工知能に代表される高度なテクノロジー白旗を揚げて恥じない人が多数になってしまったのだ。
図鑑をみていた頃の自分は世界の現状をひたすら受け入れ、その意味を丸暗記しようとしていた。それは大切なことなのだろうがその段階では現状への批判精神は生まれない。それができるのはもう少し上の年齢なのだろう。
考えてみれば、今の私の知識の分類方法は子どもの頃にお世話になった図鑑の方法と似ている。意味の分節の仕方は実は幼年期に基礎学習を済ませていた。それは人生における思考活動の物差しを得たということである。その意味で幼年期の読書は意味が大きいと言える。
謙虚な気持ちを忘れてはならない。ただ、いわゆる盲従にならないようにしなければなるまい。世界を測る物差しは時代ごとに変わる。自分が見ている風景が、支配する階層が変わればまた全く違うものになる。図鑑を見て喜んでいた時代から少し成長した者が考えることである。