数日前に立ち寄ったレストランで流れていた音楽がまるで昭和歌謡ばかりだった。演歌ではなく、いわゆるシティポップの類だ。楽曲は現在のものに比べるとシンプルであるが、メロディーラインがなんとも言えないよさがある。歌い手の歌唱力も要求されるものが多い。
音楽に限らず、古き良き時代として昭和末期が取り上げられることがふえた。若い世代にとってはすでに歴史時代なのだから、かえって物珍しくものによっては魅力的なのだろう。
ただ、その時代が理想的であったかと言われれば否としかいいようがない。バブル崩壊後の経済停滞はこの時期に路線が決まったし、様々な社会問題が湧き上がり、それを解決しないまま前進することがよいこととされた。多くの人が傷つき、その手当の手段も疎かだったというしかない。
現在と違うのは何もかも知っているふりをする人が少なかったことかもしれない。インターネット普及以前、知識は一部の人、もしくは集団に独占され、門外漢は何も発言できなかったのだ。専門的知見が一部の有識者に独占されているのは今も変わらないが、ネット検索によって、知ったかぶりができるようになった。口先だけで批判をする者が発生したのが現代の特徴だ。
行き先をよく知らされないまま、とにかく進めと追い立てられていたのが昭和時代だったと言える。働けば何とかなると信じていた楽観性は急速に失われたが、諦めることもない。現代人は現状を情報機器の助けを借り、人工知能の助けも借りて自分の力であるきだす必要がある。懐古趣味はほどほどにしなければなるまい。