今日の読売新聞に日本は四季から二季の国になるかもしれないとの記事が出ていた。夏の暑さが梅雨前から始まり、梅雨もはっきりとせず猛暑が何日も続き、残暑という範疇を越えていつまでも暑い日が続いたと思ったら、いきなりさむくなり驚く。秋は痩せ細り、すぐに冬が来る。春もまたはっきりとせず、いつの間にか終わる。
実感としては二季となる前に春夏冬の三季となり、やがて春も痩せて二季となるのかもしれない。春秋が全くなくなる訳では無いが、過渡期の現象として季節とは考えられなくなるかもしれない。
偶然だがこの傾向は文学や芸能の世界ではすでにあった。古今和歌集の四季の部立の歌を見ると圧倒的に春秋の作品が多く、内容的にも深い。夏冬はその隙間を埋める程度の位置づけのように見える。しかし、現在のポップスの歌詞を四季で分類すれば夏冬が圧倒的に多く、春は卒業や桜の歌が大半で、秋の歌はかなり少ない。気候変動を先取りしていたのである。これには因果関係はないと考えられるのであるが。
秋の語源が満足するという意味の「飽き」に由来するかどうかは分からない。ただ、収穫期の秋は食料確保という点においては理想的な季節であったはずだ。古代中国から秋の憂いの概念が取り込まれて一層複雑な感情となったが、秋が精神的に大切な季節であったことは間違いない。
その秋が日本の気候から消滅しつつある。自然現象の変化が生態系に及ぼす影響は大きいが、それとともに精神文化も甚大な影響を受けることになる。