隣町にある図書館に通うことをほぼ日課としている。今日は朝からハロウィンの仮装をした子どもたちの姿をたくさん目にした。どうやら地域が主催したイベントがあったようだ。本当のハロウィンに近い10月最後の日曜日が選ばれたのだろう。カボチャ色のドレス、骸骨がプリントされたジャージ、ディズニーのプリンセス、ゲームのキャラクターなど様々だった。ほとんどが小学生低学年以下の子どもであった。
ハロウィンの趣旨をどれほど理解できているのか、親の望みにただ従っているだけなのではないか、などと思いもするが、いい大人が乱痴気騒ぎをするのと違って可愛らしくも微笑ましくもある。これは子どもの行事であると改めて考えさせられた。
子どもが家々を回り、門付けの芸能人を行い、代わりに報酬を受けるというスタイルは、我が国古来の民俗にもある。神の代理として家々を祝福して回る者で、広く言えば芸能人の元祖のようなものだ。今の芸能人は電波やデジタル信号に乗って芸を見せるが、かつては本当に各家を巡回していたのだ。その子ども版もあったのである。
ハロウィンがそれと同じとは言えないが、キリスト教の普及以前からあった民間信仰が背景にあることは想像できる。その類似性がこの行事の受容を容易にしているのだろう。得意の和風化によって、大人のハメ外しにしたのは良くなかった。韓国の悲劇も間接的に影響を与えてしまったのかもしれない。
恐らく根幹にあるのは収穫感謝と先祖崇拝であろうと考えている。アメリカのジャコランタンは先祖を迎えるための道具のように思えてならない。先祖の役を子どもが行うことに意味があったのではないか。
ちっともキリスト教的ではない風俗が、むしろそうであるからこそすんなりと受け入れられたと推測する。仮装することばかりが注目されるが、その意味について考えるのは無意味ではない。
“小さな怪物の正体” への1件のフィードバック