先日、鶴岡八幡宮に行ったとき、例の境内の銀杏がかなり育ってきていることに気づいた。台風で倒壊したときは歴史の終わりのように感じたが、よく考えてみれば、公暁が隠れた木そのものは、それ以前にも倒れていたのかもしれず、結局そのままのものが残っていたという保証はない。
法隆寺や薬師寺のように木造建築がそのまま残っている文化遺産もある。ただ、これらの建造物も何度も修復作業を経ていまに至っているという。コンクリートより素材の劣化が遅いことや、部品の組み換えが可能なこと等が長寿の原因だ。
物質的なものはいつかは亡失する。大切なのはそのものの価値を忘れず、どんな形であれ守り通すという意志を持ち続けることなのだろう。中身は変わっても、価値観は変わらない。そういうものが古典とか伝統とか言われるものなのだ。
私たちが何を大切にしているのか。それを知ることが歴史学なり民俗学なり、文学なりの目的の一つだ。表面的には激変しているように見えて、その奥にあるものは変わらないといったものはいろいろある。
