タレントがソーシャルメディアで不用意に使った死という言葉が話題になっている。他人に死を促すこと、しかも公然とそれを発言することにどんな意味があるのかを再考させられる。
言霊を信じていた時代、死ねということは一種の呪いであった。和歌を読むと死ぬほど愛しているといった恋愛の表現はあるが、本当の人の死は婉曲的に表現されている。それほど気を使う言葉だった。
それがいま、人に平気で死ねという人がいる。それだけ言葉の価値が暴落してしまったということなのだろう。誰かに死ねということは、自分の存在が社会に不適合の状態にあることを漏らすようなものだ。そう言わなければいかんともしがたい現実が立ちはだかっているのだ。
死という言葉の意味を考え直したい。身近に亡くなつた人が増え、さらに自分自身もその候補にカウントされる年齢になると、死という言葉の重みはかなり変わって感じられるのである。