盆踊りの意味

  地域の夏祭りに遭遇した。いわゆる盆踊りである。東京音頭に炭坑節、大東京音頭といった新民謡が音源を再生する形で流され、それに和太鼓数台をかぶせて打つという形だ。マツケンサンバⅡも加わっていたのは驚いた。ただしその振り付けは伝統的なもので、最後に両腕を上げる所作がそれらしい。おそらく都下のほとんどの地域が同じようなことをやっているのだろう。地域によっては荻野目洋子のダンシング・ヒーローが踊られるところもあるという。

 京都の松ヶ崎の涌泉寺で題目踊りというものを見たことがある。盆踊りのルーツと呼ばれるもので、南無妙法蓮華経の題目を唱えながら櫓の周りをまわりながら踊る素朴な踊りである。五山送り火の日に行われることからもこれが先祖送りの一連の行事として行われてきたのは確かだ。全国に広まった盆踊りにも基盤に盆行事がある。先祖の霊を迎え、ともに過ごして祭りが終わると祖霊を送る。各家庭でそのような行事が行われなくなったいまでもどこかで継承されている考え方ではないか。

 今年の陰暦7月15日は新暦では8月18日だという。猛暑続きで毎日消耗する日々だが、8月も後半になるとわずかに秋の気配が出てくるはずだ。旧暦で7月は秋の始まり、その最初の満月が中元として盂蘭盆会の行事がおこなれる日となっている。日本ではわかりやすくひと月遅らせて新暦8月15日を盆とする地域が多い。盆は多くの日本人が夏休みを取得する日であることから、里帰りした地方出身者が郷土に集う日でもある。その中で行われる盆踊りは、祖先とともに子孫たちがともに踊る晴れの日と考えられたのだろう。

 東京では盆の時期を少しずらして行われることが多い。帰省のシーズンを避けて参加者が増えることを期待したものだろう。祖霊信仰は弱いが、希薄になりがちな地域の精神的連帯を促すきっかけにはなっている。

 海外でも盆踊りのようなものが行われているところがある。マレーシアでは仏教由来の行事であるとして参加を自粛するようにとの声があったのにもかかわらず、多くの人が行事に参加した。日本のような多神教の国では宗教的制約はさほど問題にはならないが、イスラーム教徒にとっては障害を乗り越える必要がある。宗教性よりも行事のもつパワーの方が勝ったということなのだろう。

 盆踊りの本来の意味を忘れるなという人もいれば、時代とともに移り行く行事の役割を容認すべきだという声ものある。日本文化の歴史からいえばおそらく後者の考えで今後も形を変えて続いていくのだろう。マツケンサンバやダンシング・ヒーローで驚いてはいけない。なんでも取り入れ、そして時代に合わせて変えていく。それがこの国のあり方なのだから。

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