熱中できる余裕を

 何かに熱中して時を忘れてしまうという経験は誰にもあるだろう。今はそれを時間の無駄使いと考えてしまうが、実は大切なことだとも思う。何かに打ち込めるというのはそれだけでも幸せなことなのだ。

 恐らく熱中できる余裕を今はなくしている。1日本を読んで何もしなかったとか、限りなく歩き回って何の用事も足さなかったといったことがなくなっている。少なくとも何らかの意味づけをして自己満足をする。それができなければ自責の念に苛まれる。

 よく考えてみれば余裕のない不幸な日々なのだ。すぐに答えを出さなくてはならない最近の風潮に背くことも必要なのかもしれない。そこから始まる何かもある。

熱中できる余裕を” への1件のフィードバック

  1. ピンバック: awareness

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください