苦手なものは誰にもある

 人には適性というものがある。オールマイティと言われる人もよく見れば苦手なことがある。彼らはその苦手なことを目立たないようにするのが得意だ。だから、何でもできる人のようについ思ってしまう。

 私のようにいろいろな面で難渋している者には、言う資格はないのかもしれないが敢えて言おう。苦手なものがあることは個性であってそれ以上ではない。できないことがあるのは当たり前で、その点だけ取り上げて非難するのは間違いだ。そういう君もできないことがあるはずなのに、何を偉そうにと私などは思ってしまう。直接言えないが。

 最近、ある局面だけで他人を見下す人が増えているように思えてならない。恐らく見下す人もどこか自己肯定感を持てておらず、他人をけなすことでようやく自己を保っているのかもしれない。哀れだがこれは互いを低め合う悪行である。本当に相手を貶す意味はあるのか。自己満足のために他人を巻き込んでいないかは考えて見るべきだ。

 人間は集団の生物であり、ある意味互助で進化の過程を切り抜けてきた。その精神が失われたとき、弱い生物に転落するのだろう。残念ながらいままさにその過程にある。

 自分の不完全さを知り、同族に助けてもらえる知能を獲得できていることを思い出す必要がある。援助をAIに求めるならば、人間はますます分断されていく。私の人生の尽きるまではそう間がないが、その間にヒトの生き方を思い出す機運ができればいいと思う。

 

苦手なものは誰にもある” への1件のフィードバック

  1. ピンバック: awareness

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