私たちが世界を感じるとき、いま見ている現実とこれまでに経験したことの記憶との複合で概念を形成している。いまを見ていながら昔のことを考えているのだ。だから、その記憶が豊かであれば、感じ取れる世界は豊かであり、貧弱なものであれば毎日がワイルドなものになる。
そのように考えると、いかに記憶というものが大事なものかと思い至るのである。記憶の前提となるのが経験であることは言うまでもない。豊かな経験を持つということはそれだけ豊富な記憶を持っているということになる。もちろんこの経験には自分が直接体験したこともあれば、書物や映像などを通して間接的に得た体験もある。
記憶の特徴として、多くの場合、それが身体の感覚と結びついていることである。私は雪道で転倒し、顎を痛打した経験があるのだが、危機的な状況に陥ったときにその痛みをふと思い出すことがある。全身の神経が一斉に動き出す。それはまるでその時の痛みが再現されるかのようにである。
こうした記憶の身体性とでもいうべきものは実は大切なものだと考える。私たちは記憶するとき、その内容をそのまま受け取っているわけではない。身体の一部やその延長にある過去の経験との複合で記憶を形成する。
豊かな記憶を作ることが人生の目的ならば若い頃には様々な経験を積ませることに全力を尽くすべきだ。勉強させさえすれば人生の道が開けると考える親がいるのならば、考えを改めた方がいい。