恐らく教えなくてはならない国語の力に要約力がある。情報化社会では溢れるほどの資料が一瞬で集まるがそれがどんな意味を持つものなのかを見抜くのが要約力だ。いろいろ言っているが要するに何が言いたいのかを見抜くのが大事なのだ。
そんなのは生成AIでもできると言う人もいるだろう。でも、機械ができるのは統計的に高い確率の言葉のつなぎ合わせに過ぎない。目的に沿って意味を見出すことは人間の能力によらなくてはならない。
学校教育でそれを教えられているのだろうか。末端の知識に拘り過ぎていないか。あるいは図式的な読解術を金科玉条としていないか。形を教えるだけで出来上がるものを見届けていないのではないか。そういう反省からやり直したい。