小学2年生のとき横浜市から福岡市に転居した。親の転勤によるものであった。この後も何度か転勤をくり返すことになった。子どもにとっては一大事であったはずなのに、なぜか細かいことは覚えていない。ただ一つ印象的に記憶しているのは水泳の時間だ。
横浜の郊外にあった小学校は新興住宅地にあって教室が不足し、プレハブ校舎で対応していた。プールはなく、水泳そのものがなかった。だから、泳げるはずもなかった。
福岡では泳げない子どもは誰もいなかった。みんな嬉しそうにプールの端から端まで泳いでいた。自分だけできないというのは何ともつらい。苦い経験だった。水泳キャップにどれだけ泳げるのかを示すリボンが縫い付けられるので、見た目でどれだけ泳げるのかを衆目にさらすのが嫌だった。今考えても残酷な方法だ。
その私に救世主が現れた。転校先の担任の先生は、粘り強く私に泳ぎを教えてくれた。まずは水に顔を付ける方法を、そして水中で息を吐き、水面で顔を上げたときに吸い込むという例の泳ぎの基本だ。運動神経が鈍かった私を見捨てずに何とか25メートル泳げるようにしていただいたのは、その担任の先生だ。おかげで魔の時間を少し軽減することができた。
私の家族はその後すぐにまた転居してしまったので、先生とは離れることになってしまった。いろいろな恩師を感じる中でも印象的なのはこの時の泳ぎを教えてくれた先生だ。先生は別に体育関係者でもなく、穏やかな女性の先生だった。その後も年賀状だけはやりとりをしていて、去年も返事をいただいた。ということはその当時まだお若かったはずだ。